あなたは「偶像」「偶像崇拝」という言葉、聞いたことありますか?
もしかしたらなんとなくのイメージで、「良くないもの」といった印象を持っているかもしれません。
なぜなら偶像崇拝はキリスト教やイスラム教などでは禁止されているからです。
そして知らずに偶像崇拝していると、実は非常に危険なことに巻き込まれる可能性があります。
今回は知ってるようで知らない、でも知っておかないと怖い事になる「偶像」「偶像崇拝」についてお話してみようと思います。
オンラインサロンIYASAKA立ち上げ時運営メンバー。
その人の「魂からやりたいこと」を一緒に探して引き出す天職支援コンサルタントとして活動中。
認知心理学をベースにして一人ひとりと丁寧に向き合うカウンセリング手法は、多くのクライアントから信頼を得ている。
目次
そもそも「偶像崇拝」とは何なのか?

そもそも偶像崇拝とは何なのでしょう?
辞書で意味を調べてみますと
偶像崇拝
絵画・彫刻・自然物などの可視的対象物を信仰の対象として崇拝・礼拝すること。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などでは厳しく否定される。偶像礼拝。
出典:デジタル大辞泉
とあります。
偶像崇拝とは絵画や仏像などを神様や仏様に見立てて、その物自体を神仏だと思って崇拝することです。
仏教が根付いている日本人の感覚では、仏像を仏様と思って拝むことにあまり抵抗はないかもしれません。
しかし世界的には多くの宗教で禁じられている行為です。
「偶像」自体は神や仏なのか?

キリスト教やイスラム教では偶像崇拝は禁止されているのですが、なぜかと言うと像自体は神様ではないからです。
銅で作った銅像でも、本質は銅ですし、木で作った木像も本質は木です。
銅は銅であり、木は木であり神様ではありません。
例えば神様に奇跡を頂いて助けてもらったとしても、それはあくまで神様に助けてもらったのであって、銅像や木像に助けてもらったわけではありませんよね。
確かに古い仏像などは文化財的な価値はあるかもしれません。
しかし実はこれらは実体のないものを拝んでいるにすぎないのです。
以前イスラム教の友人に聞いたところ、「神様は自分の心の中にいらっしゃる、だから常に心の中の神様を崇拝していれば、像も絵画もいらない」と言っていました。
偶像自体は神様仏様ではないので、それを崇拝しても意味がないのです。
仏教が根付いている現代の日本ではあまり考えられないかもしれないですが、元々お釈迦さまが開いた原始仏教も、偶像を崇拝することはありませんでした。
今の日本仏教は、インドから中国、そしてやっと日本に辿りついたものです。
そして日本の文化やその時代その時代の権力者たちとの結びつきもあり、原始仏教とは全く違うものに変化していると言われています。
人間の想念は「偶像」を通して霊体を作りだす!

人間の想念は、人が思っている以上に力を持っています。
例えば人が絵画に対して「神様が宿っている!」と強く念じると、絵画を通して神様と見立てたエネルギー体を作りだします。
実体を持たない、いわゆる霊のような存在を作りだしてしまうのです。
それが一人ではなく数多く人がいればいるほど、年月をかければかけるほど、強いエネルギー体を生み出していきます。
そのエネルギー体が意思を持って、神様のごとく動き出すことがあります。
しかしそれは本物の神様ではなく、あくまで人が作りだしたエネルギー体です。
人が作ったエネルギー体は人間の欲望も入っているので、純粋に良い作用をもたらすとは限りません。
欲望にまみれたエネルギー体を一生懸命拝んでいても、何のご利益もないでしょう。
ご利益がないどころか、いろいろと振り回されて大変な目にあうこともあります。
人間の作ったエネルギー体を神様として信仰するのは、実は本当に危険なことなのです。
自分のエネルギーを「偶像」に捧げると・・・

自分は宗教はやってないから関係ない、なんて人も多くいらっしゃるかもしれません。
日本人は無宗教の人の割合が世界的に見ても多いと言われています。
しかし宗教に入信してないと言っても、全ての人は何かしら信じているものはあります。
その対象は人によって様々ですが、ある人はお金、ある人は会社、ある人は家族、ある人は自分・・・といった具合に、実は何かしらは信じているものがあります。
そして自分の信じている存在に対して自分のエネルギーを注いでいるのですが、それがたまたま宗教でないにしろ「偶像」だったとしたらどうでしょう?
「偶像」とは英語でいうと「idol(アイドル)」になります。
(一般的に日本人のイメージするアイドルは、英語で言うとセレブリティやポップスターと言います。)
生身の人間(アイドル)を崇拝の対象として自分の時間やお金やエネルギーを捧げていると考えてみてください。
これも立派な偶像崇拝になってしまっています。
貴重な人生を偶像に捧げてしまっていて、本当に良いのでしょうか?
本当に感謝するべきは「偶像」ではなく「自然そのもの」

私たち人間は、自然によって活かされています。
私たちが生きていられるのは地球や自然から、生きるための水や火など全てのものをいただけているからです。
どんな宗教を信じていても、無宗教だったとしても関係ありません。
水を飲んで喉をうるおせるのは、偶像のおかげではないですよね?水があるおかげです。
ならば本当に感謝するべきなのは偶像ではなく、水そのものに対してではないでしょうか?
「神様はいない」と思うのは自由ですが、水そのものには誰もが感謝するべきではないでしょうか?
実際に活かしていただいている存在に対して感謝をするのは、宗教など関係なく当たり前のことだと思うのです。
「偶像」まとめ
THE BIBLE 〜「偶像」 編〜
- 偶像崇拝は実体のないものを拝んでいる
- 人間の念はエネルギー体を作りだしてしまう
- 実体のない偶像に感謝しても意味がない
- 本当に感謝するべきは偶像ではなく自然そのもの
今回の記事はいかがでしたでしょうか?
実体のないものや効果のないものをありがたがっていても、人生は好転していきません。
もしもあなたが幸せな人生を過ごしていきたいならば、感謝する相手を見極めていくことが大切になってきます。
自分の人生がなかなか上手くいっていないと感じる人は、もしかしたら感謝する相手、エネルギーを注いでいる相手が間違っているのかもしれません。
ぜひ今回の記事を参考にして振り返ってみてください。
それでは最後まで読んでいただいてありがとうございました。
弥栄ましませ。