宗教っぽいって何?そもそも宗教とは何なのか?宗教で人は幸せになれるのか?わかりやすくお伝えします。

こんにち和。

あなたは宗教と聞いて、どういったことをイメージしますか?

「私は○○教を信仰しています」という方や、「一切宗教は信じていません!」という方もいるかもしれません。

日本人には宗教に嫌悪感を感じる人すら多いです。

ですがそもそも宗教とは何のために存在しているのか?ということが曖昧な方が大多数なのではないでしょうか。

そもそも宗教とは何なのか?なぜ嫌なイメージを持つのか?今回の記事ではその辺りの疑問をわかりやすく解説していきたいと思います。

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宗教の定義とは

まず「宗教」とはどういったものなのでしょう?

宗教の定義についてハッキリした認識を持っていないと、いつまで経ってもあやふやなので理解ができません。

いろんな人がいろんな説明をしているのですが、私自身は

宗教とは絶対的な教えを示したもの

と捉えています。

例えばキリスト教ならば、「イエス様がこう仰っていたからこうしなさい」といって教義が示されます。

仏教だったらお釈迦さまが仰ったことだから従いましょうという教義があります。

○○教ならば教祖がこうしなさいと仰っているので従いましょう、といった具合です。

宗教は「これに従えば幸せに生きられます」とか、「天国に行けます」とか、最初に決まった価値観や教えやルールなどの戒律が示されていて、みんながそれを受け入れているのです。

そしてその戒律に従って集まっている集団が宗教団体だと言えるでしょう。

「宗教っぽい」とは?

宗教の定義として「絶対的な教えを示したもの」とお伝えしましたが、これは宗教団体に限ったものではありません。

絶対的なルールを押しつけてくるものは形としては宗教団体ではなくても、宗教だと言えるでしょう。

例えばブラック企業なんかも、上からの絶対的なルールの押しつけで成り立っています。

外から見たら考えられないようなルールでも、会社内では守って当然と押しつけられていれば、それは宗教と同じですよね。

絶対的な神(上司や社長)に従えと言って強制してくるのですから。

宗教に対して嫌悪感を感じるというのは、宗教そのものに対してではなく、価値観やルールを押しつけてくるからなのです。

そしてそれは宗教団体だけではなく、他の組織にもよく見られることです。

理不尽なルールを押しつけられたときや、ルールを盲目的に信じ切ってしまっている人を見たときに「宗教っぽい」と感じるのです。

宗教の起こり

そもそもなぜ宗教は絶対的な教えを作って従わせていったのでしょう?

人はルールがないと自分勝手になってしまい、世の中が乱れてしまいます。

そして自己中な人ばかりいたら、当然社会が成り立たず大変なことになってしまいます。

そこで昔の人は「神様がこう仰っているからこういう考え方を持ちなさい、そうすればあなたも幸せに生きられます」という教義や戒律を作って広めたのです。

そうすることで社会の秩序を維持したり、道徳観を植え付けて人間的成長を促していったのです。

宗教はなぜ絶対的な教えを作ったのか?

それぞれの宗教は、その時代、その地域、その人種に必要なことを守るべき教えとして定めていきました。

例えばイスラム教は豚肉を食べてはいけないという教えがあります。

豚は不浄な生き物なので、食べると自分も汚れてしまうというものです。

これはイスラム教が生まれた1500年前には衛生環境が整っていなくて豚由来の病気が多かったため、豚を食べないようにすることが必要だったからです。

「豚を食べちゃいけない」ということを神様の教えにして、人間の健康を守ったのです。

他にもイスラム教では「お酒を飲んじゃダメ」という戒律があります。

これはお酒を飲むことで失敗してしまう人がいたから、戒律として禁止にしてしまったのです。

確かに現代社会でも、いろんな人がお酒で失敗でして身を亡ぼすといったことが多くあります。

そういうことが起きないように、最初から宗教で禁止としてしまったのです。

宗教は現代に必要なのか?

宗教が生まれたのは、それぞれその時代の、その地域の、その人種の人たちに必要なルールを定めたのがスタートでした。

人間が未熟だったために、細かい戒律を作らなければ社会が成り立たなかったのでしょう。

しかしそれは現代でも必要なものなのでしょうか?

もちろん昔から共通していて、今でも通用する普遍的な教えはあります。

そういった部分は参考にして取り入れた方が良いかと思います。

だからと言って、100%すべて当てはまるか?というとそうではないでしょう。

お釈迦さまが生まれた2600年前のインドと、現代の日本とでは状況や環境がまったく違います。

「宗教団体がこう言っているから、従わなければいけない」というのは思考停止になってしまいます。

そうではなく自分の頭で考えて、一つ一つ自分の知識や経験で見極めなければ決して幸せにはなれないでしょう。

宗教に人生を委ねてはいけない

人間は自分で自分の人生に責任を持てなければ、いつまで経っても幸せになれません。

心のどこかで誰かのせいにしてしまうからです。

自分がやると決めたからやる、というスタンスでなければいけません。

学生が自分の進路を決めるにしても、「親から言われたから」とか「学校から言われたから」とか「一般的な常識がそうだから」だとかで就職先を決めると、後から苦しくなってしまいます。

自分の人生を他人に決めてもらっているからです。

これは宗教でも同じことが言えます。

例えば「他人に優しくする」ということ一つ取ってみても、宗教団体や教祖が「優しくしなさい」と言うから優しくする、では本当の意味で優しくしたわけではありません。

自分から「優しくしたいからする」と思って行動できるようになるべきです。

自分の行動は自分で決めるべきで、最終的には他人に任せてしまってはいけないのです。

宗教とは?:まとめ

THE BIBLE 〜「宗教」 編〜

  • 宗教とは絶対的な教えを示したもの
  • 価値観やルールを押しつけてくると「宗教っぽい」と感じる
  • その時代、その地域、その人種に必要な教えがあったから宗教が生まれた
  • 自分の人生は自分で決めていかなければいけない

今回の記事はいかがでしたでしょうか?

宗教の話でお伝えしましたが、実は自分の人生を他人に決めてもらっているということは非常に多くあります。

宗教団体に属していなくても、親や周りや世間の常識に自分の人生を委ねてしまっていて、しかもそれに気付いていないのです。

そうすると自分が本当にやりたいことが見えていなくて、苦しくなってしまうのです。

もしもあなたが「自分の人生を生きられていない」と感じるものがあれば、何かに人生を委ねてしまっていないか振りかえってみてください。

それでは最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

弥栄ましませ。

みんなで光を広げよう!